ロッキーさん、さようなら、忘れません。
2008年 07月 18日
毎日、いろんなことを思い出しています。
彼はある種の天才で、頭の中は、泉のように、
アイディアーがふきこぼれ、何か話すと、
とても違う方向からのアイディアーが返ってきます。
恵子夫人も、同じく頭の中に、同じものを持っていて、
私はお二人は、似たもの夫婦、だと思っています。
ただ、ロッキーの方は、天才なので、
周りの人のことは頭には余り無いようで、
それは、恵子夫人がカバーして、旨くいっていたようです。
(茄子、カボチャ、の煮びたし)
恵子夫人は、私も相当な賢い女性を見てきていますが、
賢い女性、でなく、賢い男性、と言った方が良く、頭の切れる人です。
両人を別々に25年位前から知って、お付き合いさせて頂き、先々週も、
JJの誕生を報告した所で、急なことで驚きました。
(コンニャクのサラダ、自分で作り直したくなりました。)
昨日のお別れ会は、恵子夫人は細いのに、もっと細くなり、
痛々しく、励ます意味で、「恵子ちゃん、ロッキーは天国に
一杯友達が行っていって、皆が迎えに来ていて、やぁ、やぁ、
といつものように、挨拶に追われているよ。」と、言いますと、
「本人は、天国より、地獄に行きたいと、行っていたのよ。」
「えっ?」「地獄の方が親しい友人が多いから・・・。だって」
皆で、ロッキーらしい、と笑いました。
(いわゆる、にゅう麺ですね、)
話が山ほどあり、尽きなく、だんだん寂しくなってきました。
永遠の少年のような心を持った人で、本当にやさしくして貰いました。
二人の子供達の結婚式もお二人で出席して下さり、スピーチまで戴き、
来ていた客の、ハーバードビジネススクール、
エール大学のビジネススクールの人達が、感激して列になって、
写真をロッキーと撮りたがり、ビジネスをやる人間にとり、
ベニハナ、ロッキー青木、は尊敬してやまないようでした。
(お寿司、スパイシーツナロール)
日本人で、一番世界に名が知れ渡っている人は、未だにロッキーです。
天皇陛下のファーストネームは言えなくてもロッキー青木って、
皆知っているよ、と、いつも彼にそう言って笑わせていました。
(海老の頭の空揚げ、大好き!)
アフリカに行った時にも紅花があったし、エジプトにもあったし、
とにかく、凄いエネルギーを振りまいて、人生をかけて行った人です。
我々、海外でビジネスをしている人間の誇りだった人で、
やはり一つ時代の終わりを感じます。
(和風ババロア)
この一週間こんな状態で、今日も夕食を作る気にはなれず、
皆と流れて、夕食はお寿司、食べながら、
恵子夫人が早く食欲が元になるよう、
祈って、皆にもそう言って私は、相変わらず、しっかり頂きました。
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異国巡り@ニューヨーク